「南洋の真珠」と呼ばれる美しい島国・スリランカ。アジア諸国の中で識字率が高く、比較的治安もいいこの国は、日本人の旅行先としても大変人気です。
特に、スリランカにひとり旅をした人は、共通して「日本人というだけで、大人気だった」「すごくやさしくされた」という話をよくしています。
日本、ジャパン、という言葉に向けられる自然な笑顔。それは、日本の経済援助や貿易などの関係だけではなく、長い歴史に裏打ちされた2国間の友情があるのです。
1951年、アメリカに51カ国の代表が集まり、第二次世界大戦で敗戦国となった日本の国際社会復帰について話し合うサンフランシスコ講和会議が開かれました。この会議で、大国・ソ連の強い反発により、日本は国土の分断や主権の制限、高額な賠償金を突き付けられ、その未来は暗く閉ざされたものになっていました。
そんな中、日本軍の空襲をうけたアジア諸国の代表でありながら、日本を擁護する演説をした人物がいました。セイロン(後のスリランカ)代表、ジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ大統領(当時蔵相:写真)です。
1948年にイギリスから独立した自治領セイロンの代表であった大統領は、「その歴史上、常に『自由』の国であった日本は、長年独立を願ってきたアジア諸国にとって希望であった」と語りました。そして、日本軍によって、スリランカも深刻な被害を受けたにも関わらず、「日本は自由であるべき」「日本人が平和を願う国民になる機会を与えるべき」と主張しました。
一貫して平和主義者である大統領は、「目には目を、歯には歯を」という考え方を否定しました。そして、
「憎しみは憎しみによって止むことなく、愛によって止む」
-Hatred ceases not by hatred, but by love-
というブッダの言葉を引用して、人間が本来そなえていながら戦争によって忘れかけていた礼節と寛容を、各国に呼びかけました。
許す。
人間の尊い精神です。
大統領は対日賠償請求権を放棄したうえ、日本を国際社会の一員として受け入れるよう、各国に訴えたのです。「人間の根源」に訴えかけたこの演説は、会議の流れを変え、日本に厳しい制裁処置を求めていた一部の戦勝国をも動かしたといわれています。
こうして日本は、後に奇跡的ともいえる復興への第一歩を踏み出したのです。
文責:SHA CEYLON(2019年)
※写真はすべてJ.R.ジャヤワルダナセンターの許可を得て掲載
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「日本の皆さまをお待ちしています。ご旅行の際はぜひお立ち寄りください」とセンター責任者の方より。
ご協力いただき、ありがとうございました!!
館内には、日本からの寄贈品がたくさん保管されています。おちゃめな日本語もちらほらと…
ジャヤワルダナ大統領の言葉に、人は人としてどうあるべきか、ふと考えてしまいそうです。